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イギリス史や英語英文学に関連する本を中心に、古い本から新しい本まで、いろいろ紹介します。
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2019/11/22 (Fri)
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2013/05/02 (Thu)
Lindley Murray, English Grammar Adapted to the Different Classes of Learners (1795; 9th ed. 1812)

現在世界中の学校等で教えられている英文法の大枠がいつ頃どのようにして定まったのかということが論じられる時には必ずLindley Murray (1745-1826) の名が言及される。「英文法の父」とも言われる Murray は、アメリカのペンシルヴァニア州に生まれ、ニューヨークで弁護士をしていたが、体調などの理由から、医者の勧めで40歳の時にイギリスに渡り、ヨークの近くのHoldgate というところに住み、そこで読書をしたり庭いじりをしたりといった隠居生活をする傍ら、英文法の入門書(教科書)の類を書くようになった(他に宗教関連の本も書いている)。

ここで紹介するEnglish Grammar Adapted to the Different Classes of Learners も、彼がイギリスに渡ってから「若者の教育」(the instruction of youth (p. 3)) を目的に執筆・出版した入門書である。本書は特に、彼の一連の入門書の中でも最初に出版されたもので、1795年に初版が出てから半世紀の間に少なくとも200版を重ね、その間に1500万~2000万部は売れたとされるベストセラーである。非常によく売れ、読まれたたことで、英文法の普及に大きく貢献した本として知られている。僕の持っている版(写真)は1812年の第9版。序文によれば、第8版にかなり増補改訂が加えられているらしい。以下に述べることも、この版に基づいている。

法律家だったMurray が、イギリスに渡った後、英文法の教科書を書いたのは、自宅の近くにあった学校の教師たちに依頼されたのがきっかけであった。もともと言語学者や文法学者でない彼は、当初依頼を断ろうとしていたようだが、断り切れずに書いてみたところ、上述のような驚異的な売れ行きで、結果として彼は「英文法の父」となったのである。

自分自身のことを 「編纂者」(the Compiler)と呼ぶ Murray 自身、序文の中で以下のように書いているように、彼は当時既に出版されていた文法書を大いに参考にし、その良いところを自分なりに編集しながら本書を執筆した。

IN a work which professes itself to be a compilation, and which, from the nature and design of it, must consist chiefly of materials selected from the writings of others, it is scarcely necessary to apologize for the use of which the Compiler has made of his predecessors’ labours; … It is, however, proper to acknowledge, in general terms, that the authors to whom the grammatical part of this compilation is principally indebted for its materials, are Harris, Johnson, Lowth, Priestly, Beattie, Sheridan, Walker, and Coote. (p. 5)

中でも彼が特に参考にしたのは、1762年に出版された Robert Lowth (1710-87) の A Short Introduction to English Grammar であり、彼の文法はこの路線に基本的に従っているとされる。そのため、Lowth は規範英文法の元祖、Murray はこれを確立し、世に広めた人物と位置付けられる。

Lowth の文法は、文法規則を示した上で、それに照らして何が正しく何が誤りであるかということが例文と共に示されているという点において斬新であったが、Murray も序文の中で以下のように述べ、この方法を導入している。

FROM the sentiment generally admitted, that a proper selection of faulty composition is more instructive to the young grammarian, than any rules and examples of propriety that can be given, the Compiler has been induced to pay peculiar attention to this part of the subject; … (p. 5)

例えば、Syntax を扱った章には、RULE V として、名詞とこれを受ける代名詞との一致のことが扱われているが、簡単な例文に続き、この原則に従い損ねた以下のような文の例が示されている。

Each of the sexes should keep within its particular bounds, and content themselves with the advantage of their particular districts. (p. 138)

単数扱いのeach を最初はits で受けているが、2度目と3度目には themselvesやtheirなど複数形の代名詞で受けている点が問題とされている。このような問題点を含む例文に続き、必ず以下のような改訂案も示されている。

The sexes should keep within their particular bounds, &c…. (p. 138)

このような形で一つ一つの文法項目について、ありがちな誤りを指摘しつつ、どのように文を構成すべきかを解説した Murray の英文法は、彼が参考にしたLowth の文法と共に、規範英文法を確立したのであり、入試問題やTOEFL等の英語検定試験に出題されるような正誤問題の背後にもこのような英文法の伝統があると考えることが出来るのである。

なお、Murray の英文法は、発売直後から大ベストセラーとなったと書いたが、幕末に出版された日本初の英文法書もMurray の文法に基づくものであった。ただし、当時日本はまだ鎖国中であり、欧米諸国の中ではオランダとしか直接的な付き合いがなかったため、Murray の英文法もオランダ経由で伝わったものであった。つまり、本邦初の英文法書とされる渋川六蔵の『英文鑑』(1841年)は、F.M. CowanによるMurray のEnglish Grammar(本書)の26版のオランダ語訳から翻訳されたものなのである。しかしいずれにしろ、鎖国中の日本にも伝わって来て翻訳されるほど Murray の英文法は世界中で広く読まれたということである。

なお、Lowthや Murrayのものも含め、英文法成立の歴史については、渡部昇一『英文法を知ってますか』(文春新書、2003年)に分かりやすくまとめられている。この記事を書くにあたっても同書を大いに参考にした。

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2012/02/19 (Sun)
The Coxford Singlish Dictionary (Singapore: Angsana Books, 2002)

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大分古い本を扱ってきた前回までとはうって変わって、今回取り上げるのは、まだ新刊でも売っているThe Coxford Singlish Dictionary。このタイトルは、もちろん、英語辞典の最高峰、Oxford English Dictionary のもじり。漫画的な表紙の絵に、偽物くさいタイトルがついていて、何やら楽しそうな雰囲気だ。
 
Singlishというのは、Singaporean English のつづまった(あるいは両語がブレンドされた)もので、シンガポールで使われている英語のこと。英語は(マレー語、タミル語、中国語と並び)シンガポールの公用語のうちの一つであるが、シンガポールで使われる英語には、大まかに言って二種類ある。一方は、多少の訛りや癖はあるにしろ、発音から語彙、文法まで、イギリス(やアメリカ)での標準に準じた英語。もう一方は、シンガポールの民衆の間で発達した英語で、標準からは大分ずれるところのある英語である。ここで言うSinglishというのは、このうちの特に後者のことである。
 
今回紹介する本は、このようなSinglishの辞書で、Singlishに独特な語句の意味や用法が、例文と共にまとめられている。150ページ足らずの簡単なものだが、独特な語彙がそれぞれどこから来たものなのかということも多くの場合書いてある。以前、授業でSinglishによる文章を扱った時に、この辞書を引いてみたが、載っていない語句も少なからずあったので、恐らくこの種の独特な語彙はまだまだ沢山あり、あるいは日々増えていってもいるのだろう。
 
Singlishを多くの人が使い、これが相当程度定着するのを見て危機感を覚えた Goh Chok Tong首相(当時)は、2000年に、「良い英語を話そう運動」(Speak Good English Movement)を始め、国際的に通用しないSinglishの使用を制限し、標準的な英語を使うことを奨励し始めた(この運動は現在でも続いている。ホームページ:http://www.goodenglish.org.sg/)。
 
何かを抑圧しようとすると、必ず反作用として、これに反発する動きが出てくるもので、「良い英語を話そう運動」が始まると、これに対抗し、Singlishをシンガポールの人々のアイデンティティの一部と捉え、この使用を促進しようとする運動も始まった。Singlishを使って詩や小説を書いたり、映画を作ったり、ラジオ放送をしたり、様々なイベントを行ったりと、こちらもかなり活発に運動が行われているようである。
 
この運動の中心となっているのは、その時々のシンガポールのニュース等について、時に皮肉っぽく、時にユーモラスに、いろいろな人が書き込みをするインターネットサイトTalkingCock.com である。表紙の左上に書いてあるように、本書もこのサイトによって作られたものであり、Singlishの使用を促進し、またこれを記録・保存するためもので、抑圧的な運動への反発の一つの現れであると言える。

例えば、本書のSinglishによる序文には、
 
I think our Prime Minister Mr Goh Chok Tong not happy you all go and give publicity to Singlish. (p. vii)  
 
とあり、抑圧運動を始めた当時の首相の名前を名指しすることで、彼の始めた運動のことが仄めかされている。また、標準的な英語による「イントロダクション」の中には、次のようにも述べられている。
 
Singlish is to be celebrated as a cultural phenomenon, not buried, as some misguided people have been trying to do. (p. viii)
 
ここには、よりはっきりと、TaklingCock.com や本書の背後にある上記のようなの目的が言い表されている。
 
さて、Singlishについてはこれで良いとして、Coxfordというのは一体何なのか? もちろんOxfordをもじったものだが、なぜCoxfordなのか? 表紙の絵や、既に紹介したインターネットサイトの名前などと合わせて考えると、これは Cock「雄鶏」 + Oxford から成るものと考えられる。
 
インターネットサイトの名前に使われているtalking cock とは、Singlishで talking nonsense の意のフレーズだそうで、上記のインターネットサイトの名前は、「(政治等のニュースについて)取りとめなくいろいろ話をする場所」というような意味合いなのだろう。そのインターネットサイトが中心となって作った辞書なので、権威ある辞書を出版しているOxford (大学出版局)とかけて Coxford となったというわけである。
 
しかし、Coxford という造語の背後には、これに加えてもう一つの意味合いもあるようだ。つまり、この造語は、Cockney「コクニー」をも意識したものらしい。コクニーとは、ロンドンの下町言葉で、教養層が用いる標準的な英語と比べて、発音から語彙まで大分異なるところがある英語である。有名なところでは、『マイ・フェア・レディ』のイライザの言葉がこれである(コクニーや『マイ・フェア・レディ』と関連して、ホームページ内の H dropping のページも参照)。
 
本書の「イントロダクション」には、Singlishとコクニーとの類似点について、以下のように述べられている。
 
There is a conscious art in Singlish - a level of ingenious and humourous wordplay, ... that is equalled only perhaps by Cockney rhyming slang. (p. viii)

そして、以下のように Cockney を引き合いに出しながら、Singlish の使用を擁護している。
 
After all, if Londoners can speak Cockney and Liverpudlians Scouse, why shouldn't we be able to speak Singlish? (p. ix)
 
偽物くさいタイトルは、その偽物くささ故にユーモラスでもあるが、それと同時にSinglishの独特な表現に基づき、この辞書を作った人達の集まるインターネットサイトの名前にもちなみ、さらには、彼らの主張をも踏まえたものとなっており、そう考えると、非常によく出来たタイトルのように思えてくる。



 
 
2012/02/17 (Fri)
Laurence Twine, The Patterne of Painefull Aduentures: Containing the most excellent, pleasant and variable Historie of teh strange accidents that befell vnto Prince Apollonius, teh Lady Lucina his wife, and Tharsia his daughter. Wherein the vncertaintie of this world, and the fickle state of mans life are liuely described (New York: Elston Press, 1903).

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前回は、ウィリアム・モリスの作った個人印刷所Kelmscott Press で印刷された『ベーオウルフ』の現代英語訳のことを紹介したが、今回紹介する本もまた、個人印刷所で作られたものである。Elston Pressというこの印刷所は、アメリカで最高の品質の本を印刷・出版したとされ、そのため、アメリカで最も重要な個人印刷所であると言う人もいる。
 
この印刷所は、Kelmscott Pressに大きく影響を受けて、Clark Conwell という人が1900年に作ったもので、1904年までの間に24冊の本を印刷・出版した。そのうち、最初の1冊を含め、全部で5冊がウィリアム・モリスによる本であるということにも、モリスからの影響の強さがうかがわれる(これに次いで多いのは、ミルトンの2冊)。
 
さて、今回紹介するのは、この Elston Press で1903年に170部だけ印刷された、Laurence TwineによるThe Patterne of Painefull Aduentures という本。作品自体は、もともと1594年頃に出版されたもので、この本のタイトルにも見てとれるように、Elston版では、綴りから言葉遣いまで、16世紀末当時のものがそのまま使われている。黒と赤の二色刷りだが、装飾やさし絵等は一切入っておらず、Kelmscott Press の印刷物に比べるとかなりシンプルである。
 
著者Laurence Twineは無名の作家で、例えば、研究社の『英米文学辞典』(第3版)にも、Wikipedia(英語版)にも、見出しとしては取り上げられていない。少し古いが、1650ページ以上もあり、古英語期から近代までかなり細かく扱われている、A. C. Baugh編集の A Literary History of England (London: Routledge and Kegan Paul, 1950) でも彼は全く取り上げられていない。
 
そのような無名の作家にもかかわらず、今日まで彼の名が知られ、あるいは20世紀初頭に Elston Press で彼の作品が印刷されたのは、ひとえにシェイクスピアのおかげと言える。というのも、この作品はシェイクスピアの『ペリクリーズ』(Pericles)のソースのうちの一つなのである。
 
とはいえ、この話はTwineのオリジナルではない。この話は、6世紀以来、まずラテン語で書かれ、続いてヨーロッパの多くの言語に翻訳された「タイアのアポロニウス」(Apollonius of Tyre)の話に基づくものである。イギリスでも、古英語期の11世紀中頃までには既に翻訳されていた(Old English Apollonius of Tyre)。 中英語期にも複数のヴァージョンが記録されている。そのうちの一つは、ジョン・ガワー(John Gower)の『恋する男の告解』(Confessio Amantis)の第8巻に含まれており、これが『ペリクリーズ』のもう一つのソースとなっている。
 
話の内容は、タイアの王アポロニウスが、運命に翻弄され、大変な目に遭ったり、そこから救われたり、また大変な目に遭っては救われたり、というような具合で、運命的な人生の浮き沈みが一つのテーマと言えそうである。アポロニウスは、航海中の嵐で難破し、無一文になったが、学識豊かで技芸に秀でた彼は、漂着した国の王に気に入られ、その娘と結婚し幸せになる。娘も一人もうけるが、また航海中の嵐が原因で、一家離散状態となる。失意のうちに船に乗り放浪していると、運命が好転し、娘と再会し、さらには妻とも再会し、めでたしめでたし、というのが大まかな話の流れ。
 
シェイクスピア以前まで、主人公の名はアポロニウス(あるいはアポリン等)であったが、この名がシェイクスピアの使った韻律に適さないということで、彼はこれをペリクリーズに変更した。一説によると、ラテン語の単語 periculum「危険」を連想させる名前で、彼が何度も危険な目に遭うことにちなむとも言われているが、真偽のほどは定かでない。
 
いずれにしろ、今回紹介したElston版は、中世初期以来読み継がれてきたアポロニウスの話には、近代になってもなお色褪せない何らかの魅力があったということを示すものと言えそうである。『ペリクリーズ』を書くに際し、恐らくシェイクスピアもその魅力を感じ取っていたのだろう。そして、『ペリクリーズ』によって、アポロニウスの話の地位は現在に至るまで不動のものとなったと言える。古代から中世にかけて書かれたこの種のロマンスで、多くの言語に翻訳され、広く読まれた作品は他にもあるが、現在に至るまで楽しまれ続けている作品は他にはあまりないのである。

 





 
 
2012/02/06 (Mon)
The Tale of Beowulf Sometime King of the Weder Geats, trans. William Morris and A.J. Wyatt (Hammersmith: Kelmscott Press, 1895)

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産業の機械化が進み、手作りの温もりの感じられない大量生産品が多く出回るようになったヴィクトリア朝時代のイングランドにあって、ウィリアム・モリス (William Morris, 1834-96) は、中世以来の職人技によって生み出される手作りの美しい製品を愛し、これを日常生活の中に取り戻そうと、アーツ・アンド・クラフツ運動 (Arts and Crafts Movement) を主導した。

その一環として、モリスはケルムスコット・プレス (Kelmscott Press) という個人印刷所 (private press) を作った。そこでは、どのような内容の書物を印刷するか吟味し、独自に作った活字で、独自のレイアウトやデザインを用い、特注の手漉きの紙に印刷をするといった具合で、企画立案から印刷・製本まで全てにこだわった本が作られた。今回紹介する Kelmscott Beowulf もそうやって作られた一冊である。

ところで、前回のDickensの本の紹介の中にも書いたが、ビクトリア朝時代にはアングロ・サクソン・ブームとでも呼べるような動きがあった。また、これと並行して(同じゲルマン系民族である)北欧のヴァイキングもまたブームになっていた。二本角の兜をかぶったヴァイキングのイメージも、この時代に考え出されたものである(本物のヴァイキングの兜には、あのような角はついていなかった)。

モリスもヴァイキングに大いに興味があったようで、北欧のサガを大分翻訳・出版しているし、ヴァイキングの「故郷」アイスランドにも二度訪れている。

中世初期のアングロ・サクソン人によって書き残され、北欧のデンマークやスウェーデンを舞台に英雄が活躍する物語詩『ベーオウルフ』は、モリスの趣味に(そして、アングロ・サクソンやヴァイキングのブームで沸いていた当時の多くの人々の趣味にも)ぴったり合う作品だったと言えそうである。

写真にあるように、この本には独特な活字が用いられ、装飾も豊富に施されている。『ベーオウルフ』を現代英語で韻文調に訳したものではあるが、通常は用いないような(多くの場合中世の英語から採られたような)単語があちこちで用いられたり、極度の直訳調であったりして、大分特殊な訳である。良い訳かどうかは別としても、そういうクセのあるところにモリスのこだわりがよく現れていると言える。

上記のように非常に手の込んだ方法での出版であったため、ケルムスコット・プレスの本はいずれも高価であり、部数も少なかった。今となってはさらに数も少なくなり、たとえ古本として出回ったとしても、かなりの高額で取引きされる。そのため、筆者は今のところ、写真の一葉だけしか手に入れることが出来ていない(この一枚だけで、前回のディケンズの本全三巻とほぼ同額)。

なお、この訳は(Kelmscott Pressから出版された他の多くの訳と共に)、モリスの死後、1898年に別の出版社から、同じタイトルで廉価版が出されている。また、共訳者のWyattは古英語の専門家で、Kelmscott版の出版される前年の1894年には『ベーオウルフ』原文のエディションも出版している。











 
2012/02/04 (Sat)
Charles Dickens, A Child's History of England, 3vols. London: Bradbury and Evans, 1854-55.

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ディケンズ(Charles Dickens, 1812-70) といえば『オリバー・ツイスト』(1837-39)、『デイヴィッド・コッパーフィールド』(1849-50)、『二都物語』(1859)他、多くの作品を書き残した小説家としてよく知られている。

彼の『クリスマス・キャロル』(1843)は日本でも非常に有名だが、この作品からの一連の "Christmas books" は子供の間でも人気を博したらしい。

また、彼自身つらい子供時代を過ごしたことも影響してか、孤児を主人公とする小説も多いようだ。いずれにしろ、どうやら彼は大人ばかりでなく子供にも目を向けていたようである。

今回ここで取り上げたのは、ディケンズによる子供向けの英国史で、これも彼の目が子供の方にも向いていたということを示すものと言えそうである。

本書は全三巻からなる。第一巻は、ブリトン人やローマ人の時代から始まり、ジョン王の死(1216年)までが扱われている。第二巻にはヘンリー3世の時代からリチャード3世の時代まで、第三巻にはヘンリー7世の時代から1688年の名誉革命までが扱われている。

現代の英語感覚からすると、この本の英語は一文一文が時々非常に長いこともあるが、子供向けということもあって、内容は非常に単純明快。時に雄弁に、時にユーモラスに綴られる英国史と、合間合間に現れる、ディケンズ自身の独断と偏見に満ちた面白いコメントが魅力。

ビクトリア朝時代人らしく、アングロ・サクソンの民族性を重視した「国粋主義的」考え方が見え隠れしたりするところも個人的には非常に面白い。以下の引用文にあるように、アルフレッド大王(在位 871-99年)は、アングロ・サクソン精神の元祖体現者として高く称賛されている。

... under the GREAT ALFRED, all the best points of the English-Saxon character were first encouraged, and in him first shown. It has been the greatest character among the nations of the earth. (vol. 1, pp. 35-36)

その一方で、アングロ・サクソン王朝を打倒し、イングランドを征服したノルマン王朝の歴代の王たちは全員酷い書かれ様である。例えば、ノルマン征服を経てノルマン朝初代の王となったウィリアム1世がどのように扱われているかを少しだけを紹介しておこう。

ウィリアムが亡くなると、彼の周りの人々は皆、王位継承権争いやその他の混乱が生じることを恐れ、遺体をほったらかしにしたまま一目散に自分の財産を守るために家に帰って行った。そして・・・

... the body of the King, in the indecent strife, was rolled from the bed, and lay, alone, for hours, upon the ground. O Conqueror, of whom so many great names are proud now, of whom so many great names thought nothing then, it were better to have conquered one true heart, than England ! (vol. 1, p. 95)

このように、この本には面白いところがいろいろとあるので、いつかそのうち時間が出来たら、何かしら研究出来ないか考えてみたいと思っているところです。



 
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最新TB
プロフィール
HN:
唐澤一友
性別:
男性
自己紹介:
中世英語英文学や英語史を専門とし、駒澤大学文学部で教えています。さらに詳しくは、ホームページをご覧ください。
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